操り人形〜白拍子〜



「ああ、また失敗しちゃいました〜」
 どこか間延びした声の主は、まだ幾許か顔に幼さを残している。むっとクリエイション――彼女の場合は錬金――の 結果の石ころを眺めているその姿を見守るように見つめていた妙齢の女性がいた。かの大錬金術師アンサラーに次ぐ 腕を持つと言われる、ミスティの尊称を関せられし女、リーアである。
「エリザちゃん、精が出るわね」
 肘でテーブルに杖をついていたエルザはリーアのほうを振り向くと、ぱぁ、っと晴れたような笑顔で迎える。
「リーアさん、いらしてたんですか?」
「ええ、久しぶりね。こうしてシランドに足を運ぶことが中々無かったから」
 敬意の入り混じった純な瞳で見つめられると、どことなくこそばゆさがある。一方で、リーアからエリザを見る目というのは 多少複雑な色合いを持っていた。
 その人懐っこい笑みをみると、虚しい空想の世界に思いをめぐらせてしまうのだ。ひょっとしてあの娘が生きていたら、 この娘のような笑顔を私にいつか向けてくれたのかもしれない。そんな思いを。
「どうしたんですか?リーアさん」
「いえ、何にも……ところでその石、また失敗してしまったのね」
「うう、そうなんですよ〜。またお爺ちゃん……じゃない、お師匠様に叱られちゃう」
 半分涙目の金髪の少女が言うお師匠様こそ、錬金術の第一人者アンサラー老である。弟子を滅多にとらぬこの 老人がこの少女に目をつけた理由というのが、伝説の賢者の石を、偶然にも作り出した奇跡の少女であるから というのは一般には知られてはいないことである。
 老人の酔狂かと噂される声も聞かれたし、本人ももう老い先が短くないから、などと口では言うものの、 全く矍鑠たる姿でシランド城や陋巷に現れるのを見ると、そう思う気も削がれて、結局何かあの少女には 老にしか今はまだ見えぬ特別な才能があるらしい、というところで巷説は定まった。
 もっともそれは大きく外れているとはいえない。賢者の石にたどり着いた人物はゲート大陸史を紐解いても 神格化されるような人物やもしくは古代シーフォート期くらいにしか見受けられず、そもそも賢者の石など 存在しないといった論が主流となるほどで、空想の中の物質に過ぎぬとすら思われていた。
 では、何故エリザの錬金の結果生まれた未知の産物を、アンサラーとリーアが揃って「賢者の石」と 証言したのか。それについてはおいおい語るとして、ここでは省かせていただこう。
「アンサラー老は貴方に目をかけていらっしゃるのよ。誇りに思っていいことよ。これは」
「それはそうですけど……お師匠様はとってもお小言が長いんですもん。そうそう、お師匠様といったら、 私の母ったら、お師匠様の弟子になった、っていっても信じてくれないんですよ?もっとも無理のないこととは 私だって思いますけど……」
 いじけるように俯くエリザを宥める。リーアの美しい、しかし時には病的にも見える白い細指が、ぽん、と エリザの金の髪の上に乗る。
「そうそう何事も直ぐ芽が出るわけではないわ。土を耕してつくり、種を蒔き、水を与えて、そうして ゆっくり育てていくものよ。とりわけ錬金というものは、己の知識も熟成させていかなければならないのだから」
「はい……そ、そうですよね。私もいつか、錬金術もマスターして、それで大施術師になって……」
 ぐっとエリザが拳に力を入れて握りこんでいることがわかる。見果てぬ夢なれど、それを追う事には疑いを 持たぬ瞳。それはリーアにとっては大いに羨むべきもので、少々疎ましいものでもあって、かつ僅かに妬ましい ものであった。もう二度と自分には戻らぬものであろうから。
 しかし、そういった複雑な感情の色は面から消せてしまえるだけ大人でもある。慈母のような見守るような笑みで、
「そう、叶うといいわね。ライバルは多いでしょうし、先は遥かに長いでしょうけれど。志を保ち続けるのは容易では ないわ。でも、きっと貴方なら……」
「はい、頑張ります!」
 大きな活発さをそのまま体現したような、それでいて可愛らしい声と同時に、リーアの背後で、扉の蝶番が擦れる金属音が きぃ、と鳴る。外は風が強いらしい。そこから流れてくる風に飛ばされぬよう、かぶさったフードを押さえながら振り返る。 そこに姿を現したのは――
「こんにちは。エリザ。老に頼まれたもの、ここに置いておいていいかな。……あれ?リーアさん?」
 一瞬の間を置いての言葉に、リーアも同じように間をとって言葉を唇から紡ぐ。
「こんにちは。奇遇ね。マスターさん」
 傍目には、清清しい春風のような笑顔を見せて。



 リーアがこの蒼髪の青年と出会ったのは、昨年の末頃であったか。今自分がここに居るのは、様々な意味で 彼のせいであると言えると思っている。彼がいなければこうして人里に下りることも、ギルドに所属することも、 たとい仮初だとしても笑顔を取り戻すこともなかったろう。いつまでもあの竜の山で自分を誤魔化して生きるか、 或いは、いずれは絶望の淵に沈んでこの命を投げ捨てる真似をしたかも知れない。
 フェイトという名のグリーテンの青年は、会釈を返す。微妙にそれが固く感じるのは、果たして自分の気の持ちよう が悪いだけなのか、それは判じかねた。
「ええ、まさかこちらにいらっしゃるなんて」
 普段はリーアはペターニの工房で作業しているからであろう。彼に他意はない。
「そういえばマスターさんはここ暫くはシランドを拠点にしていらしたものね」
「はい。今日はアンサラー老に頼まれたものを少々シランド城から拝借してきたので、 それを届けに。老はラッセルさんに頼むからいいなんておっしゃっていましたけど、流石に。 たまには僕も骨を折らないとと思いまして」
「まぁ、そういうことでしたのね。てっきりエリザちゃんでも狙っているのかと思いましたわ」
「わ、私?そんなわけないじゃないですか」
「そうですよ。ひどいなぁ」
「む、ひどいなんていわれるとちょっと女としてむっときますよ。フェイトさん」
 膨れ面になると、エリザのその顔が余計に子供っぽく見える。眉を寄せるその顔も、 愛らしい。ふわりと二つに縛った蜂蜜色の髪の房も揺れる。
「い、いや、別に魅力的じゃないとかそういうわけじゃなくてさ」
「じゃない、ならどういう意味ですか?」
「だから、リーアさんの言い方だと、まるで僕がそこらじゅうの女の子に声をかけるような ナンパ者だって意味に聞こえるじゃないか」
「あら、違いまして?」
「違いますよ!リーアさんも遊ばないで下さいよ」
「ですがエリザちゃんだって悪い言い方をすれば『お金で買った』ということになりますわよ?」
「そういえばそうかも……やだ、私ったらとんでもないお誘いに……」
 顔を朱にそめて、かつフェイトから一歩、二歩とあとずさるようにしてリーアの陰に隠れるエリザ。 フェイトはあわてて、
「そこ、顔赤らめないで!リーアさん、そんな言い方しないで下さいよ。誰かに聞かれたら勘違いされてしまう じゃないですか」
「兎も角、エリザちゃんもおいしい話を持ってくる殿方には注意したほうがよろしくてよ」
「は、はい。気をつけます」
「だから……」
「では私はそろそろお邪魔ばかりしててもいけないから帰りますわね。エリザちゃん、頑張って」
「はい!」
「そ、そうですね。それじゃ僕も失礼するよ。老によろしく。…だ、だからそんな目でみないでくれって」
 フェイトは一旦その場は去ったものの、その後暫くエリザの不信をとくことはままならなかったらしい。



「全く、ひどいじゃないですか。あんなこと言うなんて」
 リーアを後ろから追いかけてきたフェイトが、ややむっとした表情で苦々しく言う。
「あら、そうでしたわね。男も女も子供もお年寄りも関係無しでしたものね。マスターさんは」
 リーアのほうもしれっとしたものである。 「誤解されるようなこと言わないで下さいよ」
「私は間違ったことは言ったつもりは欠片もなくてよ」
「確かにクリエイター集めるのには老若男女問わず、といった形にした積りではありますけど」
「それに、手段も問わず、ということかしら」
「まぁ、そういうことです」
「私も貴方にひっかけられましたわ」
「だから人聞きの悪いこと……」
「それは置いておくとして、どうしてついてきたのかしら?マスターさん?」
 そう言ってリーアはフェイトに向かって振り返る。若干ずれたフードをあげる。日も傾きはじめている。
「どうして、ですか?別にどういうわけもこういうわけもありませんけど」
「暇だったから?」
「いえ、とりたてて暇でもないですけれど」
「だったら帰らなくていいのかしら?」
「お邪魔でしたか?」
「まさか」
 ふぅ、と一つため息をつく。結局のところ同じか。 「幸せが逃げていくらしいですよ。ため息を一つつくごとに」
「そうかしら?では貴方も逃げたほうがいいのではなくて?幸せに逃げられた女といては 不幸になるばかりですわ」
 そう。私にとって幸せとは過去の幻に過ぎぬものかも知れない。今も決して不幸ではないし、 決して楽しみが無い生活とは言わない。良い仲間や友に恵まれても居る。なのに、自分が幸せだとは どうしてもいえない。そういった虚しさはこれからも抱え込んでいくのだろう、とリーアはおぼろげながら も確信している。
「別に気にしませんよ。そんなこと。それよりどうです?ディナーでも一緒に」
 日差しに隠れて見えぬフェイトの表情。リーアは暗さを表情に溶け込ませる。
「残念ですけど予約済みですわ。またの機会に。マスターさん」
 そうやってからかうようにすることがいつもの習慣であった。最初はうろたえていた 青年も、今ではこうして自分から和ませるためにこうして言ってくることがある。それを 寂しいと思う感慨も、成長したなという感慨も、どちらもリーアには無い。ただ変わらない 自分があるだけか、と思うだけである。だが、この時ははいつもと違った言葉をフェイトに返した。
「構わないわ。少し夕食には早いけれど」
 青年の顔は、最近は見せぬ驚きに満ちていた。聞いた言葉が半ば信じられぬように。
「え?」
 肯定されると、返す言葉に詰まる。別段行き先などを考えての発言ではない。拒否されることを想定しての ものであったから。常ならぬ慌てように、普段ならリーアからは一つか二つからかう言葉が出てもおかしくは 無いはずである。
 だが、そんな台詞が口からついて出た本人のほうが、より内心はさざめき立っていたと言ってもいい。とはいえ、 表面はいつもと何ら代わり映えはしない。清艶なる女が居るだけである。
「マスターさん?どこに連れて行って下さるのかしら」
「え、えっと……」
 ペターニならいざ知らず、この辺りでは懇意にしている店があるわけでもなく、近頃は夕餉は殆どラーズバード家で 馳走してもらっている始末のフェイトにとっては、少々困る質問であったらしい。
 内面も平静さを取り戻したリーアは、静かにフェイトの掌を握って引く。冷たい自分の掌と比べるといささか 温かい。
「考えも無しに女を誘うものではなくてよ」
「すみません」
「謝らなくてもいいわ。それでは私が悪女みたいではありません?」
「そんなことは……」
「いいですわ。気が向きました。私がエスコートすることになるのかしら?本来なら立場が逆ですけれど」
 フェイトはまた謝りかけた口を押さえて、ありがとうと小さく呟く。リーアはあえて表情をフェイトには 見せなかった。



 リーアが案内したのは少々高級な店である。大通りからは二本ほど離れた界隈にあり、より静けさが 漂う場所であった。
「緊張なんてしなくていいわ。マスターさん。格式ばったお店ではないし」
「はは、慣れていないものですから」
 腰掛けた後も、微妙に顔が強張ったままのフェイトをみやりつつ、リーアはたおやかな笑みを見せる。
「可愛らしいところもあるものね、貴方は」
「誉め言葉ですか?男に可愛いって」
「ええ、光栄に思ってくださって結構よ」
 料理が運ばれると、神々に感謝の意を表してから、それに口をつけはじめる。フェイトの挙止はどこか ぎこちなかったが、なぜかそのまま鶏肉の骨を掴もうとしたのでリーアは苦笑してそれを止める。
「あら、お里が知れるわよ?」
 手を慌てて引っ込めたフェイトは、曖昧な笑みを浮かべて、
「同居人の癖がうつりかけたみたいですね、気をつけないと……」
「同居人?」
「ええ、アドレーさんの、です」
 確かにラーズバード家の長は、一度目にかかっただけではあるけれども、とてもその立場の人間らしからぬ 豪快、豪放な人物であった。肉にかぶりつく姿がしっかりと目に浮かぶ。
「そんなに笑わないで下さいよ」
「ごめんなさい、ついね」
 改めてフェイトはナイフを入れて、肉を切り分けていく。脂がナイフにつき僅かにてかる。 脂がほどよく載ったそれが口に入れられる。火も焼きすぎないよううまく熱がいきわたっている。 フェイトに倣って一切れだけ肉片を自らの皿に運んで、口にする。噛むと味わいが口の中で広がる。
「美味しいでしょう?」
「ええ」
 笑顔を浮かべる彼をみると、心は休まる。他人の笑顔というものも、薬にはなる。しっかりと口の中のものを 咀嚼し、嚥下する。
「楽しいかしら?こちらでの暮らしは」
「はい。とはいえ暫くしたらまたペターニに戻るつもりではありますけど」
「そう?」
「いつまでもお世話になるわけにはいきませんしね。アドレーさんにもクレアさんにも。 それに何かと便利なのには違いないですから。ペターニのほうが」
「そうね。保守的な土地柄ですものね。シランドという街は」
「伝統的にそういうものらしいですね」
「あくまでペターニと比べれば、だけれども。むしろあの街が特別なのでしょうね。この大陸では」
 口についたものを拭って、皿にナイフとフォークを重ねる。頃合をみて下げられた皿の後に、グラスに つがれたドリンクが、果実一切れとともにそれぞれの前に置かれる。リーアはからんからんと音をたてて、 それをゆっくりとかき回す。香気が撹拌していくような、そんな錯覚。
「ねぇ、マスターさん」
「なんです?」
「……なんでもないわ。やっぱり」
 なぜか聞く気が途端に萎えた。リーアは目をフェイトからそむけて、グラスに視線をうつす。
「そういわれるとかえって気になっちゃいますよ」
「では、ずっと気にしていてくれるかしら?」
「明日になったら忘れますよ」
「そう?だったら明日までずっと悩んでいてくれる?」
「意地悪がしたいんですか?」
「マスターさんに意地悪なんて、恐れ多くて出来ないわ。大切な恩人ですものね」
 一見他愛ないやりとり。が、リーアとフェイトの言葉の重さには齟齬があった。時は静かに過ぎていく。
「恩なんて、そんなことは無いですよ。僕が特別何かをしたわけじゃない」
「でも、見捨ててはくれなかったでしょう?」
 私を救い、そして、目の前から永遠に消えると思ったその時も訪れなかった。あの時ここに残らぬことを彼が 選んでいたなら、或いは私も。
「それは……」
 多少の棘が言葉に混じる。陰鬱なる影がその白皙を覆う。フェイトも厳しい顔を向けて、動けずに居る。齟齬が どこにあったかに気がついてしまったからか。
「いいの。別に私は何も貴方に求めているわけではないの。でもね」
 嘘を交えて、視線はフェイトのそれと交差させる。
「貴方は私を助けたのよ。それだけは、忘れて欲しくは無いわ。そうでなかったなら――」
「わかっていますよ」
 目だけで全てを語っていた。確かに覚悟だけは彼にはある。ならば言うことは無い。もとより自分に何か言うことなど 出来はしない。
「それならいいわ。ごめんなさい。お酒、不味くしたかしら」
「そんなことはありませんけど。お時間があるなら、場所を変えます?」
 リーアは口許を裾で押さえる。妙齢の女がすると、やけに艶っぽく映る。酒気にあてられていることもあるのだろう。
「陳腐な誘い文句ね。それで引っかかる女は居ないわ」
 フェイトは勘違いさせたと思い込んで、首を横いっぱいに振って否定する。
「いや、別に怪しい目的なんか一切ないですから。その」
「それはそれで甲斐性なしね」
「……」
 ぐぅの音も出ない様子である。だがそれくらいでも良い。
「いいわ、もう少しだけお付き合いしてもよろしくてよ」
 そのもう少しを、いつまでも続けていくことを望んでいるのか。でもそれ以上を望むことはこれからもないのだろう。 きっとそれは彼も同じである。と、すると、徹頭徹尾、私の命を救ったこの青年の意のままであることになる。
 否、或いは、私が彼を意のままにしているのか。どちらも変わらない。
「今宵は貴方の思うがままに、マスターさん」
 優美に差し出した手を受け取られる。なぜだか先ほどよりそれがさらに熱く感じた。私をつなぐその細い糸の通りに 踊ればいい。それが彼の意思であっても、その逆であっても。主客がどちらにあるかなどより、綺麗でも無様でも 踊り続けることのほうが大切なことなのだろう。
 知らぬ間に潤んでたまった眦の雫を、静かに彼の指が拭った。彼と同じくらい、リーアも精一杯に微笑んで見せた。
夜の星空はそのころようやく輝きを見せ始めた。



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